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【悲しみの中で】『四つ葉のクローバー』を心の中に見つけましょう。

スタエフ収録中に言葉を失った。

僕は米国株の情報を得るために、朝起きるとスマホで楽天証券のアプリと日経Web刊を見る。そして自室にあるパソコンの電源を入れ、PC版のTwitterで「マスコミ&出版社」のアカウントを集めたリストもチェック。

「米国株が3指数とも下がったか」「何が原因だろ?これかぁ〜」「まぁでもCPI待ちね」「よしよし」

今朝もこんな感じで自己流の米国株式市場分析が始まった。

スマホのアプリで「スタエフ」を立ち上げ、RECボタンを押しマイクに向かって喋り出す。

米国株の結果とその自己流の分析結果を伝えるまでは順調だった。

だが、順調なのはそこまで。

ある出版社のツイートに、スーツ姿で道路に横たわる「安倍元首相」の写真が掲載されていた。(ツイートの掲載は割愛します)。

そして、次の瞬間!

9年前に亡くなった「父」の姿が頭に思い浮かんだ。

すると、サイトを追うためにマウスを操作する指が震え始めた。

それからクリックする記事全てに「安倍晋三元首相」の名前がある。そして、自分の意思に反して手がその関連記事ばかりを追ってしまう。

僕は完全に収録するための言葉を失った。

頭をフル回転させても言葉が出てこない。その代わり、熱を帯びた感情が肚の底から込み上げてくる。涙と共に。

話の途中にもかかわらず僕は収録を打ち切った。

その後に思い浮かぶ言葉「喪失感」

その後に思い浮かぶ言葉は、

「喪失感」

であった。

そんな「ボロボロ」の収録内容となったスタエフを告知するツイートがこちら。

「命」と「時間」は取り返しがつかない。

二人称の死そして「喪失感」に襲われる

人間が生きてる上で絶対なことが2つある。それは失われた「命」と「時間」だけは絶対に取り返しがつかないということだ。

そして、この絶対的な2つのことは生きるもの全てに当てはまり、命がついえ「死」を迎えることは誰であろうと平等に訪れる。これは「一人称の死」。

そして、人は人生において「二人称の死」に直面することがある。

「二人称の死」に直面した人は、その絶対的、不可逆的な現実を目の当たりにすると強い「喪失感」に襲われることが多い。

自分の経験からすると、一人になった時にふっと亡くなった人のことを思い出し「涙」が溢れてくる。自分一人が取り残された「寂寞(せきばく)」とした感情が心を埋め尽くしていく。

そして、その喪失感、寂寞感は怒りに変質し、場合によっては人を責めたり、自分を責めたり。

なぜ死んだんだ!なぜ死ななければならないのだ!その死を誰か止めることは出来なかったのか!と。

しかし、「死」が絶対的なことである以上、どんなに叫ぼうが、悲しもうが、現実は変えられない。

心に突き刺さった「喪失感」の傷。本かネットか忘れたが「二人称の死」は人生において最も「ストレスフル」な事象であるとのこと。

この「心の傷」は「時間」の経過でしか癒えることがないのだろうか?

確かにそれが最も効果のある良薬であろう。そして、自分の場合はどうだっただろうか?

少し考えてみる。

不用意な励ましや、元気づけは最も忌避すべき行為だ。喪失感で心が埋め尽くされている状態は本当に涙も枯れるほど乾ききっている。絶望の暗闇にいる人に、その言葉は五月蝿すぎる雑音にしか聞こえない。

「滂沱の雨」でずぶ濡れになってしまった心に「励ましの言葉」で火がつくはずがない。

「喪失感」に苛まれた人に大事なのは「共感する」こと、そして「寄り添う」ことではないか。そして自分もその二つを感じたとき、大変救われた記憶がある。心に傷を負った人の言葉に耳を傾け、共感すること。また、いつでも手を差し伸べる場所にいると態度で眼差しで示すことが大事なのではなかろうか。

そして、心の中の滂沱の雨を降らせた雲の隙間から、少しずつ日が差すのを待とう。

喪失感に苛まれる「心」へのアプローチする方法としてはこれが良いのではないか。そう感じた次第である。

絶望の中に希望を見出す。

そしてこうも思った。絶望の中に希望を見出す、これはあることか?

答えがあるかと思い、いつも苦しい状況になると読む本を書棚から取り出した。

ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」である。

著者は文字通り、絶望的な状況の中に希望を見出した人。その言葉に耳を傾けようと。

すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味に正しく答えること、人生が各人に課す使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。

「夜と霧」 V.E.フランクル  みすず書房刊

この言葉からすると「喪失感」に苦しむ人はどうすれば良いのか?「喪失感」も人生が与えた問いなのである。それにどう向き合い、どう答えていくか、それは全く個人の自由である。

抱えながら故人を忘れないことも答えであろう。そして、それを克服して過去に遭遇した「喪失感」には流されまいとするのもまた答えである。

僕らが喪失感の意味を問うのではない。喪失感にどう向き合うか我々が問われているのである。ありのままの自分が問いに対してどう行動するか。それが答えであり、また同時に新しい問いなのである。

人生の問い、問いに答えると、見つかる新しい問い。

それこそが絶望の中に希望を見出すための「四つ葉のクローバー」ではないか。口絵の鳥はそんなイメージである。

そして、人生こうありたい、これこそが人生であると僕は信じている。

もう一つの答え『Let It Be』

そしてこれももう一つの答えです。The Beatlesの名曲『Let It Be』。

『あるがままでいる』

その言葉がどんな状況で囁かれるか、どの状況でその答えに辿り着けるか、歌詞の内容を噛み締めながら聞いてみてください。

今日はここまでにしよう。それではまた。

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