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【僕にとって読みやすい文章とは?】『深夜の読書』がありました。

皆さん、こんばんは。蓮沼五朗(ハスヌマゴロウ)でございます。

この記事を読んでらっしゃる皆さんには読みやすい文章ってありますか?

新聞や雑誌、Webサイトでも良いんです。読みやすい文章ってありますよね?その理由ってなんでしょうか。

著者との波長?

それあると思います。読書って著者との『対話』ですから。

こんな文が書けたら素敵だな。言葉を自由自在に使えたらな。そんな想いで日々文章を書いておりますが、まだまだ『修行不足』のようで。

ただ目指す文章があるかな?と書棚を眺めていると……..。

ありました、ありました。この本が!

そんなことを少しお話ししたいと思います。

きっかけはこのWebサイトです。

最近の朝の日課といえば、日経新聞を読んで、Twitterのタイムラインをチェックして、スタエフの収録をする。それが一連の習慣に定着しつつあります。

そして今朝のルーティーンを日課をこなしているときに、このWebサイトが目に止まりました。

サイトに登場するのはスピーチライターの「ひらたよしあきさん」。文中で「森本哲郎さん」の『ゆたかさへの旅―日曜日・午後二時の思索』(角川文庫/重版未定)を高校時代から手放さず、今も読み続けており、これからも読み続けるだろうと。そして棺桶の中に入れて欲しいと語っております。

またこうも。ですます調の文体がとても分かりやすく「こんな口調で文章を書きたい」と思ったそうです。

ひらたさんがおっしゃるように人生と共に歩んできた、そしてこれからも共に歩むであろう「座右の書」があるって素晴らしいなと直感的に思いました。

具体的に目標とするものがあればこそ、それに近づこうと努力する。それも素晴らしいことです。

言葉を大事にしよう。良い文章が書きたいと考えている僕にはこの記事がどうしても引っかかっており。

さて、僕にそんな本があるか?

実はそんなことをスタエフの収録中に考えてました。

座右の書、辻井喬著『深夜の読書』

あったあった!この本が。

そして、

そうだ、そうだ!思い出した!

この本があった!ヒヒヒヒ!

と閃いたのです。

それが、この本がでした。辻井喬著「深夜の読書」(新潮文庫)です。

実はワタクシ、若かり頃「西武百貨店」でアルバイトをやってたことがありまして。

当時はバブル経済の絶頂期!!(1987〜90年頃)

当時の西武百貨店といえば、有楽町マリオン、渋谷西武など、幾つも話題の旗艦店があり、百貨店の枠からはみ出て、ファッションや文化の『ムーブメント発信基地』でした。

憧れだったブランド「ポロ・ラルフローレン」も西武にあったなぁ〜。

目に止まった西武百貨店の『社内報』

そしてそのアルバイトをやっているとき当時社長を務めていた「堤義明氏」の社内報を読んだんです。そこにはこんなことが書いてありました。

『現代は<際>(キワ)が無くなった』

『それが消費のキーワードである』

具体的な「際:キワ」とは『男と女』『若者と老人』『西洋と東洋』『夜と昼』。現代はその差が無くなったと。

男性化粧品、若者文化、エスニック、オリエンタル、24時間営業、眠らない街、1990年前後に始まった消費生活を象徴するキーワードでした。

僕はその社内報を見て「これだ!!」と閃いたのを記憶しております。

そして、その後のある日のこと。

西武百貨店にある書店で「西武百貨店の社長堤義明氏」は「作家の辻井喬先生」であることを知ります。

この本はそれを知った20歳頃に買った本ではないでしょうか?

以後、数回の引越しの際に大量に処分した本があったにもかかわらず、この本はずーっと僕の書棚に鎮座している次第でして。

迷った時や深夜の読書にはぴったりの本となりました。

では、いくつか印象深い箇所を

では、いくつか印象深い箇所をご紹介します。

深夜、それまでかなり詰まった日程をようやく消化し終えて書斎に座る。その時戻ってくる自分の時間に点滅する捕らえどころのない想いは、日によって容易に虚しさへと流れゆく。

少年の頃読んだ抒情歌のような机上の花の蕾が開くのはそんな夜だけれども、すると昼間の光景が俄に遠のいていって、そのなかには髪をふり乱した修羅にも似たあさましい自分が踊っていたりする。

私にとって見失われそうな人間の姿を繋ぎとめ、シニカルにもならず呆けもせず、ただ耐えることを教えてくれるのは、優しい言葉ではなく意外に破滅的で渇いた見者(ヴォワイアン)の文体である。

以上3ヶ所の引用の出典:深夜の読書 辻井喬著 新潮文庫 『西鶴を読む』より

もう最初から、『昼間の自分』と『本当の自分』のそれぞれにパースペクティブを与えた『深夜の自分』の視点。その表現の絶妙さに舌を巻きます。

もう一つ。これも心に残ってる箇所を引用します。『全集を読む』から。

つまり全集を読むというのは、当然のことかも知れないが、ひとりの作家の人生に触れるという点で、代表作だけを読むのとは違った関係を、作者と読者のあいだに作り出す。

同前 深夜の読書 辻井喬著  

うーん。なんとも耳の痛い感じです。そこまで私淑する作者との出会い。そして自分と作者の特別な関係を読書を通じて築くこと。それでこそ作者の『思想』を深く理解するには必要な作業であると言われているようです。

当時も目まぐるしく動くビジネスの最先端に身をおきながら、やっとひとりになれる深夜。その思索に耽る濃厚な時間が『辻井喬』という人を作っていたのでしょう。

読書こそ深い人間を作る大事なことであると思い知らされる一文です。

そしてこの本には他にも「花」「動物」「季節のもの」「芸術論」「人との想い出」など様々なジャンルのものを鋭い感性で受信し、巧みな文章で表現しております。

本当にお見事です。

表現とは、常に苦しみを伴うはずのものであった。

では最後にこの一文を。少々長いですが実に心に迫るものがありますので引用します。

事実を修飾し、矛盾を甘美なものに仕立て上げるために言葉があるのではなく、個々の体験をその重さにおいて受け止めながら客観化するために表現が求められるのである。

表現とは、常に苦しみを伴うはずのものであった。大衆社会が成立すると、心理操作の巧みな人間であれば、たとえ品性が汚れていても、首長の座に着くことができるという、アメリカ社会学者の言葉は、言霊の恐ろしさについての鋭い指摘を含んでいる。

この危険を防ぐには、日本人は少し物わかりが悪くなった方が良いのではないか。

以上3ヶ所の出典:深夜の読書 辻井喬著 新潮文庫『火炎樹』より

この文を読むと、いかに自分が不用意な言葉を不用意な考えを持って、稚拙な表現を使って、不特定多数の人に発信しているかと思うと額に脂汗がにじむ思いがします。

もっともっと語彙力や表現の修行を積み、辻井先生と同じくらいの覚悟を持って『自分の想い』を大切な人へ伝えて行きたいですね。

いつも通りまとめにならない『まとめ』

今回この本を紹介したとはいえ、僕の主観が「バリバリ」入っているので、読んだ皆さんに受け止めていただけるかわかりません。

ただ誰もが忙しい日常を過ごしており、仕事、プライベートを問わず、様々な矛盾や理不尽に出会うことでしょう。

辻井喬先生のおっしゃる通り、そんな時はひとり深夜思索に耽り「ただ耐えること」を教えてくれる、その精神の強さの源とは『深夜の読書』なのかも知れません。

ちょうど良い時間に書き上がりました。

本当に深夜になりましたね。書きながら考えてたら寝るのがもったいなくなりました。

今夜はもう少しこの本と共に『深夜の読書』をしますかね。少々クドいか。

ちなみに文庫版の『深夜の読書』は絶版となっておりまして、Amazon Kindleで読むことができます。お知らせまで(大きな声では言えませんが、このリンクから買ってね)。

それでは今回はこれにてお開きにいたします。ここまで蓮沼五朗(ハスヌマゴロウ)がお伝えをしました。

それではまた。

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ハスヌマ ゴロー(蓮沼 五朗)
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